上高今昔61(教科指導)
2025年11月28日 09時11分 昭和23年に本校では普通科が誕生し、昭和20年後半あたりから、教科指導を強化しようという熱がだんだん強まっていったようです。
『二十年史』(P64)にも「二七年度以降(中略)戦前・戦後の教育の空白、戦後の社会の混乱、新教育の一部欠損から生じた基礎学力の低下を防ぎ、訓育教育の混乱を是正しつ、かつ、年々高まる大学・就職試験の競争に備えて教科指導を強化しよう、という学校の意図が強まって二十六年度までとはかなり違った動きがみられた」と書かれてあります。
27年度からどのような取組が行われたのかを『二十年史』をもとに、年譜的にまとめてみると次のようになります。
昭和27年度
・新入生招集日に英語テストを実施、その成績を参考にして一年生をA・B・Cの三クラスに分けた。(普通科のみ)
・新入生からブランク(三箇年で九〇単位取得できるが、卒業認定に必要な単位は85単位のブランクが認められていた)を廃止。
・五日制授業(土曜日はクラブ活動、生徒集会、ロングホームをあてて教科をしない)を廃止。土曜日も教科の授業を行う。
・全校生徒を対象に当用漢字の書取テストを実施。
・三年のルーム編成は生徒の意見を尊重し、進学対象のルームを編成。
・課外授業を放課後毎日実施。
・進学適性・各教科の模擬テストを頻繁に実施。
昭和28年度
・新入生招集日に英語に加え、数学・国語のテストも行い、この結果をもとに、普通科を、家事・家庭従事者をA、就職希望者をB、大学進学希望者をCとしてクラス分けを行った。
・二、三年生も同時にABCで編成替えをおこなった。
・これまで週にクラブ活動二時間、生徒集会一時間の合計三時間とっていたが、両方合わせて一時間とし、浮いた二時間を教科に割り当てた。
・修学旅行を二年生修了直後に実施した。(それまでは三年生の開校日に実施)
・放課後進学・就職コースの課外授業を行うほかに早朝課外も一部の教科で始めた。
昭和29年度
・進学コース全員、就職コースの希望者を対象に、正規授業開始前、八〇分間の課外を全面的にはじめる。早朝八〇分の課外、続いて六時間の正規授業を受け、さらに放課後五時ごろまで課外授業、これに夏・冬期休暇をあわせて三週間の課外授業を行うといった強力な体制を確立させる。
昭和30年度
・諸行事を省略または簡略化、ないしは実施時期に考慮が払われた。学習効率が最も上がる二学期に学校行事を極力避け、クラスマッチは一学期に集約、学校祭と運動会を合併して行った。
かなり過激に、教科指導を強化したのが分かります。特に進学コースの生徒さんたちは、今では考えられないハードな日程を送っていたことが分かります。正規授業の80分前ということは、早朝7時頃から課外をおこなっていたということでしょうか。
さて、その成果はどのように現れたのでしょう。
『二十年史』には、「結果は必ずしも満足すべきものではなかった」と書かれてあります。そして、昭和23年度から昭和35年度までの大学合格者の表が掲載してあるので、転載します。
皮肉なことに、愛媛大学合格者の数は、教科指導の強化を本格的に始めた前年の昭和26年度がピークであり、昭和28年度に12名の合格者が出ていますが、その後は停滞します。ただ、難関大学である「京都大学」「九州大学」「防衛大学」等への合格が出ていて、一概に数で効果をはかるのは間違っているのかもしれません。また思うように成果がでなかったのは、全国的な進学熱で、各大学の難易度がアップしたという原因も考えられます。この後昭和40年代にかけて第1次ベビーブームの世代が大学進学の年齢に達する時代で、競争倍率の高まりもあったかもしれません。いずれにしても、時代に流されながら、上高はこの時代、教科の力を付けるためにとにかく時間を確保したのでした。
現在、普通科の中に文理コースがあり、これが大学進学に対応しています。本人の希望を最優先し、それに応える個に応じたきめ細やかな教育を志しています。また、多様な入試に対応できるように、総合的な探求の時間にも力を入れ、課題発見や課題解決能力、協働力など様々な力を養っています。
今は大学全入時代になり、選ばなければ誰でも大学に行ける時代です。また選抜方法も多様化して、学力だけが全てではありませんが、ここに行きたいという目標を定めたら、今の時代だからこそ、それに見合う努力と実力を身に着けてから進学してほしいと願います。進学のその先に真の目標はあります。