上高今昔44(部活動5)野球部
2025年7月14日 10時13分今年も、全国高校野球選手権愛媛大会が開催されています。
本校は今年度北条高校・内子高校小田分校・済美平成高校との合同チームで参加し、3年生1名がエースで4番を務め、東温高校と対戦しました。
残念ながら5回コールドで敗れてしまいましたが、合同チームの形で毎週のように練習試合を行い、3年間よく頑張りました。本当にお疲れさまでした。
野球部の創部のいきさつについては、次のように書かれてあります。
野球部は25、26年度軟式の部がおかれたが、当時運動場が狭く、経費が莫大にのぼる点もあって廃止された。しかし、地域の方々の野球部設置希望はその後ますます強く、30年度運動場拡張工事が竣工するに及び、強力な運動がおこって、33年度硬式野球部の誕生にいたったのである。(『二十年史』)
『二十年史』に掲載されている校内敷地図です。1枚目は昭和23年の様子で、2枚目が、昭和39年のものです。実習畑・実数田を削る形で運動場が大きく北に広がったのが分かります。運動場が十分確保されたのをきっかけに、外部からはますます野球部創部の声が高まったようです。しかし、一方では次のような声も掲載されています。
昭和32年度、体育後援会の理事会はPTA体育委員会提案の野球部創設について検討した。この会に先立って調査した生徒のアンケートでは、創設賛成80%、男子54%で、男子の中にかなりの反対があり、教員・PTA・地元有志のなかにも野球部はなにぶん莫大な創設費と維持費がいる、冬期練習が不可能であるから成長の天井もしれている、などの理由をあげてむしろ本郡に適したスポーツこそ伸ばすべきだと反対する者もかなりあった。しかし、大勢は賛成で、32年度PTA総会で正式に発足が決定した。
賛否両論あったようですが、多くの地域の方の後押しもあり、野球部が創部に至りました。昭和35年にはベスト8に入り、着実に力を付けています。
35年度夏の大会には川之石高をシーソーゲームののち6対4で降し、続く2回戦で東温高校を8対0の大差で破り、準々決勝で宇和島東高に7対0で敗れた。(中略)県下ベスト8に進んで上浮穴高校野球部の存在を県民に強く印象づけた。(『二十年史』)
『四十年誌』の校史年表には、昭和44年7月、「高校野球県予選で、1回戦松山南高に4対3、2回戦西条農高に2対1で勝ち、3回戦に進出」したことも書き留められています。
近年少子化の上に、野球人口の減少もあり、本校のみならず他校でも単独で大会に出場できない学校が増加してきています。合同チームという新しい形、合同応援という新しい形を受け入れながら、野球をしたい生徒がどの高校でも野球を楽しめる環境を作っていきたいものです。