上高今昔46(45年前の生徒の声をきく)

2025年7月17日 12時38分
上高今昔

今年2025年は昭和100年。上浮穴農林学校が認可された昭和15年を上高誕生の年と考えれば、上高は今年で85歳を迎えます。人間で言えばまずまずの年齢ですが、学校の年齡で言えばまだまだこれからです。まずは90歳、そして大きな節目の100歳を迎えるべく、魅力的で居心地の良い学校を作っていかなければいけません。

さて、ここに『四十年誌』 があります。上高40歳、そして45年前の高校生(現在60代前半の方)の声が多く掲載されています。

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 最近の本校の批評は、と言うと、以前と比べるとあいさつや態度にしても、それ相応によくなって来ているように思う。友達と5・6年前の上の話をよくする。その時によく出てくる言葉というと「昔の上高は酷かったなあ。」である。実際、昔の上高は酷かったように思う。問題行動ばかり起こしていたようだ。現在の上高生の中には、これと言った問題行動を起こすといった生徒もいないようだ。しかし、それだけで、上高がよくなったと言っていいのだろうか。(中略)先生と擦れ違っても、会釈をする生徒などはほとんどいないし、授業の始めと終わりの礼などもざっとしたもので、ある授業では、数名の者が起立して礼をするが、あとの者は椅子に座ったままである。(3年男子)

 今の私の高校生活は、クラブ活動にしても勉強にしてもエネルギッシュに情熱的に、自分自身を完全燃焼させることができるものがなく、あらゆる新しいものを取り入れるべきであろうこの時期に、自分では何もしようとせずそれらのことを放棄し、将来のために自分で工夫や努力をして何かを勝ち得ようともせず今の自分に小さく満足して、他人からあたえられたような環境に妥協している状態なのです。(中略)他人の目を鏡のように気にして、外見だけを生きがいとし、自分を傷つけまい、失敗すまい、友達に笑われまいとして、何のとりえもないような高校生になってしまいそうな気がします。(2年女子)

 上浮穴高校、今、県下でどうおもわれているだろう。進学率、部活動となににしても活躍していない。そして、相手にもしてもらえない。気にもとまるような学校ではないと思う。(中略)サッカー部の歴史について、過去、県で優勝、四国で準優勝という偉業をなしとげている。どのような練習をしたんだろうか、どうして勝っていたんだろうかと思う。(中略)しかし、その後は、成績も悪く、だんだんと落ちぶれていき、悪いサッカー部、とんでもない部、練習をしない部と、高校に入ってから先輩によく聞かされた。過去の輝かしい部、そして今の部、あまりにも差がありすぎ、とてもなさけないとおもう。(3年男子)

  華やかな40周年記念とは裏腹に、ネガティブな記述が目につきます。若者が高校生活の中で夢中になれるものが見つからず、もがいている姿が垣間見えます。学校創設から40年目、当時生徒であった方々に閉塞感のようなものが漂っています。そして、今の生徒より、自分の心のありようを隠さずストレートに表現している気がします。

 昭和55年と言えば、戦争は遠くなり、今ほどでないにせよ物質的にも満たされていった時代です。バス等の交通機関の整備で、久万高原町の交通事情もよくなってきていたと思います。建学の精神や、郡に一つの高校を求めた戦前の地域の方の声も遠いものとなり、先輩たちの苦労や部活動での偉業もプレッシャーでしかなく、鬱々とするしかない当時の高校生の気持ちが赤裸々に語られています。

 今、この時代からさらに45年が経過しました。全国募集も始まり、学校の状況は45年前とはまた違っています。今の生徒たちは、当時の生徒ほど気持ちを吐露することはありませんが、どんな思いを抱いているのでしょうか。