上高今昔17(寮・寄宿舎の今昔)
2021年12月23日 14時10分今回は、寮・寄宿舎の今昔について。
県立上浮穴農林学校開校(昭和15(1940)年)の頃は、半数の生徒が寄宿舎生でした。交通が未発達だったためと思われます。はじめ、男子は、アラマ実習地(現在の久万中学校の地)にあった仮寄宿舎で生活し、女子(昭和18(1943)年女子部創設)は、町公会堂や夏秋蚕飼育所等に分散寄宿していました。
これを見かねた新谷善三郎翁が昭和19(1944)年に、現在の体育館北側に、女子寮を寄贈されました。これが「大和寮」です。
男子については、昭和20(1945)年に、「大和寮」の南側(現在の体育館の位置)に、「誠和寮」が建てられました。1枚目の写真は、昭和19(1944)年のものです。「誠和寮」が建築中です。2枚目の写真は、昭和20年代のものと思われます。中央の建物が「大和寮」、右側が「誠和寮」です。
その後、昭和38(1963)年に、旧体育館が建設されるときに、「誠和寮」が取り壊され、現在の「星天寮」の位地に、「寄宿舎」が建てられます。3枚目の写真は、平成12(2000)年のものです。「寄宿舎」が見えます。プールとの間にあるのは、弓道場です。4、5枚目の写真は、昭和48(1973)年頃の「寄宿舎」の様子です。定員は、26名でした。この「寄宿舎」は、平成11(1999)年度卒業生1名を最後に、その後、利用者はありませんでした。
一方、「大和寮」は、昭和49(1974)年に取り壊されました。この年、現在の本館が完成し、旧本館が取り壊されています。
そして、令和2(2020)年3月、「星天寮」が完成、現在に至ります。
「上高の歴史は、寮と共に有り。」といえます。