上高今昔35「知今堂」

2025年6月13日 14時46分

 学校を訪れた人が「あれは何の建物ですか?」と目を止めるレトロな建物。それが「知今堂」です。

「知今堂」は、昭和19年講堂として、現在の位置に建てられました。

  

寄贈者は、船田一雄氏(東大卒 元三菱商事理事)です。船田一雄氏については、生涯学習センター データベース『えひめの記憶』に詳しく書かれてあります。

 「昭和一六年に久万町に新設せられることとなった農林学校の建設に当たっては、郡に対してまとまった金額を寄付したほかに、明神村に割り当てられた負担額の三分の一を進んで援助したのであった。昭和一九年には一雄の寄付金をもって講堂が落成した。命名を依頼された一雄は、「知今堂」と名づけた。」 (『えひめの記憶』より)

  東明神の方で、現東京大学に進学し、検事になりましたが、その後転職して三菱商事に移りました。いつまでも郷里のことを忘れず、この上浮穴高校の前身、上浮穴農林学校に巨額の寄付をしていただいた上に、知今堂まで寄贈していただきました。

 「知今堂」の西側には、命名の由来について記された木の看板があります。

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左が今のもので、右は「上浮穴高校創立50周年記念誌」に掲載されている35年程前のものです。かなり風化して、字がだんだん読みにくくなってきているように一見思われますが、よく見ると全く別物です。今のものは「知今堂」の文字が立体の木で表現されていますし、比較的はっきり写っている「孔子」の「孔」の字を見れば別物であるのは一目瞭然です。50周年以降この看板はどこかのタイミングで作り変えられ、それが今また風化してきていると思われます。

「由来 孔子家語 観周篇より 孔子曰、吾聞老聃博古知今則吾師也 「現代をよく理解して実務に励めよ」とどちらにも書かれてあります。

 「科学的知識と技能を身に付けたスペシャリストを育成します」という森林環境科のグラデュエーションポリシーは、これを受け継ぐものではないでしょうか。

 ちなみに、「知今」という言葉が出てくる『孔子家語』(こうしけご)の観周第十一(1)の内容を分かりやすく要約すると、

「孔子は、過去に詳しく現在をよく知っている老子に教えを請おうと思い、会いに行った。いろいろ学んだ後、帰り際に孔子は老子から次のような言葉をはなむけにもらった。「よくものが見えよく知恵が回るのに、命を落としてしまう者は、人の悪口を言い立てたがるからじゃ。自己主張もたいがいにしておきなされ。他人事に腹を立てなさるな。人の家臣たる者それでは務めを貫くことが出来ぬぞ。」

というような内容です。考えさせられる内容ですね。