上高今昔14(桑の木)
2021年9月7日 13時15分林産加工実習室(キノコを栽培しています。)敷地の片隅に、桑(くわ)の木を見つけました。栽培しているものではなく、自然に育ったものです。枝の立ち姿は、地図記号の「桑畑」にそっくりです。
桑の葉は、養蚕(ようさん)に欠かせないものです。養蚕とは、蚕(かいこ)蛾の卵→幼虫→繭(まゆ)→生糸(きいと)を作る産業で、生糸は、絹糸・絹織物の原料となります。
生糸は、戦前の我が国にとって重要な輸出品であり、近代日本の発展を支えたと言っても過言ではありません。工業製品なのに、原料は、農作物である桑の葉だけ…。偉大です。戦前、日本の各地の農村では、養蚕が重要な収入源でした。蚕の幼虫を育てるためには、桑の葉を、昼夜を問わず大量に与えます。そのため、桑畑を設けて、桑を栽培する必要があり、至る所に桑畑が設けられました。
モノクロの写真の1枚目は、昭和16(1941)年夏のものであり、愛媛県立上浮穴農林学校1期生の男子生徒の皆様が、養蚕実習で繭を収穫した際の記念写真です。皆様が囲んでいる白いものが、繭です。この実習は、現在の久万中学校の地にあった、アラマ実習地において、泊まり込みで行われました。桑の葉は、アラマの農場と現在の久万町立病院の地にあった桑畑から運ばれました。
モノクロ写真の2枚目は、昭和18年に設立された女子部1期生の皆様が昭和19(1944)年夏に繭を収穫した際の記念写真です。戦前ですので、男女共学ではありません。
なお、久万中学校は、昭和22(1947)年4月に、新制中学校として、久万小学校に間借りして発足したのち、アラマ実習地の跡地を校地とし、昭和24(1949)年5月に新校舎が完成して、生徒が移転しました。