上高今昔57(生徒会今昔)
2025年9月30日 15時49分今年度も生徒会立候補者の立会演説会が9月にあり、即日選挙が行われました。選挙は、主権者教育の観点から、実際の選挙で使用されている機材を久万高原町からお借りして実施しました。10月から新体制での生徒会活動が始まります。
さて、本校に生徒会が発足したのは昭和25年のことです。その年の4月21日生徒総会で、生徒会規約が満場一致で可決しました。4月28日には初代会長に普通科3年の小倉敦男さんが選ばれ、その後生徒会本部諸役員、専門委員も順次選出されて、生徒会活動は順調にスタートしました。初期の生徒会活動の様子については、『二十年史』に詳しく書かれてあります。
教科外活動体制が整えられるとともに、熱意と見識を備えた教員の適切な指導が浸透し、そのうえ、生徒がそれ程進学・就職の問題に心奪われなかった時代であったこと、小学区制に守られて本校に集った上浮穴郡の俊秀生徒が生徒諸活動のリーダーとして活躍したことなどの好条件に恵まれて生徒諸活動はめざましいものがあった。学校・生徒会諸活動はすべて生徒の立案・計画のもとに進められ、教員は文字どおり顧問としてサジェストするにとどまったが、「校内には開拓精神がみなぎり、生徒会活動は盛況を極め」(「やまなみ」六号、小さな歴史)、愛媛新聞はこれをたびたび報道したから「本校生徒会は県下でも指折りの生徒会として各方面から注目を浴び」(上高新聞二七号、生徒会を語る座談会)、「上高生徒会を見習え」という声が郡内中・小学校で起こった程であった。(『二十年史』P60)
この記述を見ると、かなり活発な活動が行われていたようで、「すべて生徒の立案・計画のもとに進められ」ていたというから驚きです。ところが、時代の変化、教育環境の変化によって、すぐにその活動に陰りが見え始めたようです。
(昭和)二十七年度以降年を追って学校は教科指導を強化し、生徒は卒業後の進路に不安を増してきて、教師・生徒ともに、教科外活動の時間と場、教科外活動に対する意欲と情熱を殺がれることが多くなった。そのため昭和二八年一一月、改選を前にした二七年度生徒会役員は「生徒会を語る」座談会を開いて右の対策を語り合ったが、席上司会の広報委員長は「今や本校生徒会は県下でも指折りの生徒会として各方面から注目を浴びています。ところが最近になって生徒会活動は各会員の協力不足という問題をめぐってかなり難航の状態にある。」(上高新聞二七号)と述べ、副会長は生徒会に「学校側は無関心である」、役員一致して「全体的に見て一部の先生を除いて他の先生は無関心だ。」と指摘している。(『二十年史』P73)
『二十年史』には、昭和25年から35年まで、生徒会執行部を務められた方の一覧表も掲載されています。
これを見ると、会長は男子、副会長の一人目も男子、二人目は女子を、そして運動総長は男子といった風に、ジェンダーバイアスが働いているように見えます。近年上高では女子の生徒会長が続いていますが、別にそこで性別を意識する人はいません。まさにジェンダーレスという考え方のスタイルが浸透したのを実感する次第です。
さて、今年度の、重点努力目標は「共に創ろう誇れるかみこう―自主自律と進取の精神を身に付けた上高生の育成を目指して―」です。新生徒会にも、元メンバー同様、そして初期の生徒会のように、「開拓精神」みなぎる挑戦を期待しています。