上高今昔56(「星天寮」の完成)
2025年9月19日 11時36分上高今昔4および上高今昔17に、既に寮・寄宿舎のことが書かれてあります。
全国募集が始まる前、もっと言えば上浮穴農林学校開校当時から、本校にとって寮・寄宿舎は、交通も未発達な中、広域な範囲出身の生徒が本校で学ぶために、欠かせない存在だったのです。初期の様子は、「二十年史」(P32)に詳しく書かれてあります。
生徒の半数近くは寄宿生であったが、校舎その他主要建物さえ遅れに遅れて竣工する状態であったから、男子は元夏秋蚕飼育所養蚕室(アラマ実習地)が仮寄宿舎になり、傷んだ障子やガラス戸、すき間の多い壁、腰板から洩れてくる陽光や寒風、冷気と闘いながら不便に耐えた。昭和20年3月、未完成の校内寄宿舎誠和寮に約50名移転したが、より多くの者がここに残り22,23年度に及んだ。誠和寮も全く粗末なつくりで、その内部設備は全く粗悪で、畳のかわりにムシロを使用、障子には髪も張ってなかったという。なお、この寮は昭和23年度に改造され、昭和34年頃までに利用された。
18年度女子部が開設され多数の寄宿舎生がいたが、男子同様仮寄宿曙町公会堂(現財務事務所)、菅生下寺、夏秋蚕飼育所と転々あるいは分散寄宿して不便をしのいでいた。これをみかねた新谷善三郎が氏の養蚕室を寄贈して下さり、昭和19年10月この改造工事がなって女子生徒の大半が移転した。昭和38年9月まで使用の女子寮、大和寮がそれである。なお、残りの女子生徒は昭和23年ころまで夏秋蚕飼育所寄宿舎にとどまった。
初期の寄宿生の暮らしは非常に厳しく、粗末で快適とは言い難い生活を強いられていたようです。昭和16年入学の1期生である松本光夫さんが蚕飼育所での思い出を「五十年誌」に書いておられます。すごくいい文章で心動かされたので転載させていただきます。
現在使用されているのは町営「星天寮」。令和2年度から全国募集で集まってきた生徒を中心に受け入れています。
次の写真は令和元年「星天寮」工事中の様子です。
令和7年9月現在、29名(定員30名)の生徒がここで寝食を共にしています。親元を離れ何かと不安もあるかと思いますが、清潔で快適な環境で生活できています。また、寮母さんをはじめとするスタッフのみなさんが支えてくれています。