上高今昔58(普通科の誕生)

2025年10月6日 17時08分
上高今昔

 本校は、もともと「農林科」のみの単独制高校でしたが、戦後(昭和23年) 「普通科」も併せ持つ総合制高校に昇格しました。 沿革には「23. 4. 1愛媛県立上浮穴高等学校となる。普通科・農業科設置される。」とあります。地域の子どもたちの多様なニーズに対応する学校に進化し、喜ばしいことのように思われますが、周囲の反応は意外にもそれだけではなかったようです。

 『創立50周年記念誌』(平成3年7月発行)の中で、「上高同窓会の歩み」と題して、当時同窓会事務局長隅野正行さん(昭和26年卒業 普通科 第1期生)が、本校に普通科が設置された時の町や同窓会の反応を、詳しく書いておられます。

 昭和23年学制改革により(上浮穴農林学校は)普通科を設置した総合制高等学校に昇格し新発足した。この昇格問題については普通科を加えることについて、農林科の単独制にするか、総合制にするか、の問題で学校の中でも地域社会においても意見が分かれ大いに議論された。普通科を設置すれば施設・設備が著しく不備な現状では、普通科・農林科とも充実が果たせず、また実習のない普通科生がいることが農林科経営にも種々の支障が生じる等、様々な理由から総合制反対の声が強く、学校の方針も反対の方向に傾いていった。しかしこの方針も文部省・進駐軍に許容されず、総合制へ方針を変更したのである。
 この問題について昭和23年2月に、同窓会臨時総会が開かれ、普通科設置に対する同窓会の立場は反対である、と絶対多数で可決され、直ちに委員を選出し熾烈な反対運動を展開した。結果として国の方針に抗し切れず、また在学生にも多大な迷惑をかける、という理由で涙を呑んで矛を収めたのである。しかし新制高校発足後、学校運営に協力する方針を定めながらも、なお一部で感情のもつれを払拭しきれず、今村完道校長との口論や、普通科教員との融和を欠く点もあり、少なからずトラブルがあった。校内においても普通科生と農業科生との間に鉄拳制裁があり、昭和26年にまで及んだ。私自身、昭和23年度入学の普通科第1期生として3年間鉄拳の最中を過ごし、普通科生と農業科生とのしこりの深さを身をもって体験した一人である。量的に優勢な農業科生には抗し切れず、在学中は両者の融和は図れなかった。卒業後も同窓会に入会せず、昭和27年度発行及び昭和32年度発行の同窓会名簿にその名をとどめていないという不幸な結果も生んでいる。

 普通科を設置するにあたり、反対する声が強く、設置後もなかなか「融和が図れなかった」事情が生々しく書かれています。「鉄拳制裁」という穏やかでない言葉も使用されています。学校の沿革だけ見たのでは分からない、紆余曲折をうかがい知ることができる記録です。

 現在これらの問題は昇華され、森林環境科・普通科それぞれが魅力的な学科を目指しながら、町内に一つの高等学校として、それぞれの進路選択に幅広く対応できる学校になっています。

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 この写真は、昨年度(令和6年度)11月に行われた、「農業クラブ第2回各種発表校内大会」の時のものです。左側に写っている生徒たちは普通科の生徒です。農業クラブ校内発表会の様子を普通科生徒も傍聴し、農業科(森林環境科)の生徒の発表の仕方を勉強したり、地域の農業・林業に関する課題や取組を知ったりする機会になっています。
 また、普通科の総合的な探究の時間「くまたん」に、専門性を生かして農業科の教員が指導を行なったりと横断的な学習もできています。

 さらに、森林環境科で大学進学を希望する生徒が、英語・数学の普通科の授業を受け、基礎学力向上に努めたりもしています。

 このように、普通科・森林環境科それぞれが特性を出し合いながら「融和」し、学校の魅力を高めているのが今の上高なのです。