上高今昔40(図書館)
2025年6月30日 12時25分本校の図書館は、20周年記念事業の一つとして計画され、昭和35年11月に完成しました。久万造林株式会社社長で県議会議員、久万町長も務められた井部栄治氏の寄贈で完成しました。
『二十年史』には次のように書かれています。
1枚目の写真は、完成間もない図書館です。町内初の鉄筋コンクリート造りの図書館です。渡り廊下が北に伸びていて、旧本館につながる構造になっていたのが分かります。
2枚目は現在の様子です。3枚目は図書館を北側から撮った現在の様子です。旧本館を取り壊す際に、渡り廊下は残し、外壁を作って部屋を作ったのが分かります。作られた小部屋の2Fと、1Fの半分は現在倉庫になっています。
今度は建物の内部です。1枚目は当時の図書館の中です。2枚目が現在の様子です。当時の内部は中央に伸びているストーブが印象的ですが、今はこのストーブはありません。そして当時の室内はチェスの盤面のような床が目を引きますが、どこかのタイミングでそれが張り替えられたようです。書架の様子は今も全く変わりません。
この写真は当時の2Fの視聴覚教室の様子です。この部屋は、この後、芸術室、生徒課室を経て、現在は公営塾に使用されています。使用目的の変化が、上高の生徒の変化を象徴しているようです。
さて、図書館をご寄贈いただいた井部栄治氏については、データベース『えひめの記憶』に詳しく書かれてあるので、転載いたします。
井部栄治は、明治四二年二月一八日に久万町大字菅生二番耕地一三二六番地第一に生まれた。
宇都宮高等農林学校林業科を昭和八年に卒業し、翌九年二月に井部栄範の遺志を継いで、久万造林株式会社の第二代社長に就任した。栄治は二五歳であった。青年社長として内外の期待を背負っての登場である。栄治は自ら林地に出向き、作業員とともに汗を流しながら、学校で学んだ新しい育林知識と林業全般について実地に勉強していった。
栄治は、太平洋戦争時に召集されたが、戦後間もなく元気に帰郷し、直ちに株主総会を開いた。そこでは、会社再建対策も大切だが、戦災復興に必要な建築資材を早急に現地へ供出することを決議した。松山市の復興ぶりは全国でも際立っていたが、これには山林所有者が進んで復興に大きな役制を果たしたためである。
昭和二二年、栄治三八歳の時、郡内各町村有志の熱心な推挙により愛媛県議会議員選挙に立候補し、好成績で当選した。政治家としての第一歩を踏み出したのである。同年、時の町長の辞職にともない久万町民の要望によって栄治は町長職も兼務するようになった。
県議会では農林水産委員を務め、林業専門家である栄治は、生涯を通じ地方林業の育成発展に尽くす決意を更に深くした。(中略)林業関係以外の分野でも地域住民の生活向上を願い努力してきた。町村各地に公民館又は公会堂の建設を呼びかけ、相当額の寄付を行った。会社設立四〇周年記念事業として久万町へ公民館を、また上浮穴高等学校へ図書館を建設、寄贈したほか多くの寄付、寄贈を行っている。その中でも特筆すべきは、久万町への美術コレクションの寄贈である。栄治は、趣味として美術品収集をてがけていた。それは「井部コレクション」として世に知られていたが、一般に公開されてはいなかった。栄治は、それらの美術品を公開すべく、そのすべてを久万町に寄付し「久万美術館」が設立されたのである。(データベース『えひめの記憶』)
新谷善三郎氏、船田一雄氏らに加え、井部栄治氏の私財を投じる献身的な働きかけがあって今の上浮穴高校はあります。
さて、図書館ですが、南側から東側にかけて用水路に面しており、床からの湿度が高く、空調もないので書架の下方に置いていた本がどんどん傷んでだめになっていき、平成の終わりに一斉に本の廃棄を行ったそうです。その後、再度図書館を充実させようと、平成31年県立図書館の「学校図書館整備支援事業」に応募して協力を仰ぎ、80周年記念事業で同窓会に椅子を新調していただくなどして、今に至ります。来年度以降は70年近くの時を経てついに空調が付く予定です。
歴史を知ると、建物自体に興味と愛着がわき、先人の思いを無駄にせぬよう、この建物を今後も大切にせねばという思いにさせられます。