上高今昔54(二人の功労者)
2025年9月18日 11時13分本校の前身である「上浮穴農林学校」創立に際し、そして創立後、「上浮穴高校」になってからも、軌道に乗るまで物心両面からお支えいただいた二人の功労者のお写真が図書館にあります。
新谷善三郎さんと船田一雄さんです。お二人の功績については既に「上高今昔3 新谷善三郎翁」「上高今昔35 知今堂」に記してありますので、振り返ってお読みください。
「二十年史」(昭和40年発行)には、前PTA会長として新谷さんのお言葉が掲載されています。上浮穴高校にどんな思いを持って関わっていたのかをうかがい知ることができますので、一部を転載いたします。
四十年の歳月を思う
前PTA会長 新谷善三郎
本校の生みかつ育ての親は群民であったことも忘れてはならないことである。昭和十年から六年の間、私がリーダーシップを取って進めた創設運動は、郡内指導層の諸子はもとより一般群民と打って一丸となり、群民一人一人が応分の力を持ち寄り、繋ぎ合わせ、練り合わせて推し進めたのである。これなしに、貧しい山村に中等学校(※現在の高校)創設は至難であったと思う。開校後の二十四年も、程度の差はあっても創設期と変わらない。昭和十七年八月の本館教棟の竣工から昭和三十八年七月完成の体育館建設まで、数々の事業に協力した群民の姿を思い起こせば明らかである。講堂、寄宿舎、学校林、西校舎、林業科開設および中校舎、運動場拡張と数え上げれば際限のない施設、設備は、みな群民の汗と油の結晶なのだと言っても過言ではない。
しかし、群民の苦労は稔り、本校を巣立って社会に活躍する卒業生は今や三千有百を数える。郡内にとどまった者は上浮穴の産業・社会・文化を担う中堅層として、また既に指導者として活躍しつつある。大正末年に同志と夢見たことが、このように、今や私の眼前に展開しつつあるを見て、私は無上の喜びにひたる。そして祈る。成長して行く昭和の若者たちが、我々明治・大正の世代の、持てる力をふりしぼって生み育てた本校を礎石として、我々のよくなしえなかった上浮穴の一段の発展を実現させてくれることを。
郡に高校をという群民の切実な願いからこの高校が誕生し、群民一丸となって施設・設備の充実に協力していったことがうかがえます。また、未来の上高の発展を切に願う新谷さんの強い気持ちが、執筆から60年を隔てた今でも伝わってきます。