上高今昔65(『山なみ』の記述から その1)

2026年1月6日 21時14分
上高今昔

 明けましておめでとうございます。2026年が始まりました。日本は今年戦後81年目、私たちにとって戦争はもはや遠いもので、現実感のないものになっていますが、世界に目を向けるとそうではないことに気付かされます。新年早々にアメリカが武力介入してベネズエラの大統領を拘束したことは、世界中で驚きをもって報じられました。また、ロシアによるウクライナ侵攻、中東の紛争もやむ気配がありません。世界ではいまだに戦争や紛争が絶えません。
 さて、昭和28年発行の「山なみ第6号」を読むと、戦争に対して今と全く違う感覚を、73年前の生徒さんは持っていることに驚かされます。


1953年元旦にあたって 三年 大野◯◯
 占領から独立への多忙の年を送って平和のうちに1953年を迎えたことは何はともあれ喜ばしいことである。日の丸の出し入れをはじめ色々と占領者の意向に左右され制限された時ももはや遠い過去の夢の様にさえ思われ、新しい年を迎えて門に祝いの日の丸をかかげるのにもこだわりのない自然さを感ずるのは、独立がようやく身につき自主の精神が心に芽生えて来たせいであろう。この意味で我々はこの新しい年をすなおに心から祝い喜びたい。
 さて世界はと言えばそこには一点の曇りもないかと言えばそうではなく朝鮮での戦争はやむ事を知らず、米ソ両陣営は武器の蓄積に、又軍事力の拡張に一日も休む事なく、営々として続け、今の世界に何よりも暗いかげをなげかけ、戦争の恐怖は何時も我々につきそってはなれようとしない。
 およそこの戦争というものは天災ではない。台風や地震の様に避くべからざる天災ではなくて、人間が戦争をすまいと思えば、さける事が出来た。現在の民主主義の世の中では各国民が戦争をしないと決心すれば、戦争はなくなるはずのものである。
 それを第三次世界大戦は不可避だときめかかっているのである。そしてそれに準備する事によって戦争を育成し戦雲をまきおこして、戦争に世の中を巻き込もうとしているのである。そしてはたの小国はそのうずから脱しようとしてものがれられず苦しんでいるのである。運悪く戦争になった国民同士は相手の国を、そして国民を鬼の様ににくみ、多くの尊い人命を失い、ことは悲劇に終わることは言うまでもない。
 (中略)
 原子力を使用して人類を滅亡に導き、文明を徹底的に破壊する戦争よりも悪いものが存在し得ようか。強盗と殺人、虚偽、あらゆる悪が戦争の名において行われ、国家の名においてゆるされているばかりではなく、強いられているのである。戦争を恐れるならこれをこそ憎まなければならない。
 アイゼンハウアー次期大統領がアメリカの若者を朝鮮で殺すことを一日も早くやめるように約束するのはよいが、アジア人の戦争はアジア人にまかせておけといって武器を提供して、アジア人同士に戦争をさせておくのでは困る。アジアは広島と長崎、二度の原子爆弾で十分経験したのであって、この上朝鮮でも満州でも改めて洗礼を受ける必要を認めない。まして朝鮮から仏印に戦場を変えて、ソ連製とアメリカ製の武器の性能を試す試験管となる必要はないのである。 (「山なみ第6号」より

 今回紹介したのは、少年時代に戦争を経験した、当時の生徒さんの文章でした。戦争をリアルに感じている感覚があり、重みのある反戦のメッセージが印象的です。改めて、これまで非戦の立場を堅持してきた先輩諸氏の考え方を私たちも守っていかなければという思いに駆られます。

 教員も生徒も戦争を知らない今の世代にも響く力を持つ文章として、ぜひ再発掘したいと思い、掲載させていただきました。

「坂村真民さんの詩」