上高今昔69 生徒と先生の距離

2026年1月15日 13時34分
上高今昔

 上浮穴高校に入学してくる生徒さんから、「先生と生徒の距離が近い」と聞いて上浮穴高校を選びましたという話をよく聞きます。私たち自身はあまりそれを意識したことはありませんが、言われてみれば大規模校などと比べると、距離は近いのかもしれません。
 さて、昭和40年、今から60年以上前に上浮穴高校の生徒さんだった方が、「言葉づかいについて」と題して、次のような文章を書いており、当時の先生と生徒との関係をうかがい知ることができます。

ことばづかいについて 石田 〇〇さん
 現在、私達は、何のこだわりもなく「ことば」を使っている。何のこだわりもなくというのは、もう何百年も前から使い慣れ、また「ことば」を使うのはあたりまえだと思っているからだろう。かつて「ことば」が使われていなかった時のことを考えると、まことに結構なことである。しかしともすると、使い慣れているからというのが、この「ことば」が濫用されたり疎漏に扱われたりしている。
 私達の身辺にも、よく友人同士、また先生と生徒間での「ことば使い」についての問題が起こりがちである。家庭クラブで「ことば使いに気を付けよう」等と目標が立ったのも最近のことである。まるで小学生のような目標ではあるが、事実、高校生でも守られていない。女性同士でも、時にびっくりするような「ことば」が飛び出す。ほんとうに「親しき仲にも礼儀あり」と叫びたい時もある。相手を呼び捨てにするのも、親しさがますとはいえどうかと思う。お互いに注意しあって直したいものである。
 また、先生と生徒の間での「ことば」づかいも最近悪くなったのではないだろうか。「戦後特に生徒の先生に対することばづかいが悪くなった。」と耳にしたことがあるが、しかし、その原因はどこにあるのだろうか。
 戦前のような厳しい身分制度がなくなったからか、あるいは生徒の慎みが足りないのか、それとも、他に原因があるのだろうか。でもこれは生徒だけが悪いのではないと思う。というのは、今、先生と生徒との会話を思い浮かべてみると、先生の方では、生徒と親しくするために、また、生徒が先生に話しかけやすいようにするために気を使って、友達のように話しかけられたり、方言を使われたり、時にはちょっと荒っぽい「ことば」も使われているように思われる。それに対して生徒の方では、先生が親しく話しかけるのに、あまり堅苦しい「ことば」で話すのもいけない等と思って、つい友人同様の「ことば」を使うようになってしまう。これが習慣になって、今日のように、どちらが師とも徒とも区別のつかないような「ことば」づかいになったのではないだろうかと思うのである。「親しさが増していいではないか。」という人がいるかもしれないが、それも程度があって、現在のような状態では少しいきすぎではないだろうか。もちろん全員が悪いというのではないし、原因がこれだけにあるとは言わないが・・・
 そこで今日のような、先生と生徒間の「ことば」づかいを直すためにはどのようにすればよいだろうか。先生だけの努力、生徒だけの努力ではいけないと思うのである。先生と生徒との協力が必要であり、各人の注意力が必要であると思う。
 最後に方言についてであるが、先にも述べたように、方言を用いることによって「ことば」がやわらかく成り、そのために雰囲気がなんとなく和やかになり親しみがわくように思うのである。こう考えてみると「ことば」というものは何か得体のしれないもののように思えてくるし、また「ことば」と簡単にいってのけても、その「ことば」の力の偉大さと意味の深さを、しみじみ感じさせるのである。 『山なみ18号』(昭和40年)

 この文章によると、戦前にあった教師と生徒との「身分制度」とも表現されている大きな隔たりは、戦後解消されていき、どちらかというと先生の方が生徒との距離を近づけようと親しみのある言葉で接近していったようなニュアンスを感じます。
 生徒と先生の距離が近いと言われるのはわれわれにとってはとてもうれしいことで、確かにアットホームな雰囲気が上高にはあると思います。しかしながら、言葉遣いの面で、場に応じた使い分けができているかというと、そうでもない気がします。これは生徒のみなさんだけではなく、私たち教職員も反省しなければいけません。時と場をわきまえて、適切に言葉を用いることができるようになれば、社会に出てからも困りません。みんなで、時と場をわきまえた言葉遣いや振る舞いに気を付け、でも一緒に学ぶ「師弟同行」の精神は変えず、さらに生徒と先生のいい関係を築いていきましょう!

 Screenshot 2026-01-22 21.30.37 (令和7年3月 3年森林環境科卒業生と校長・教頭)