上高今昔71 上高今昔の今昔(担当:令和7年度3年2組 牧慧太)

2026年1月27日 07時00分
上高今昔

 「上高今昔」は学校の歴史と文化をデジタルアーカイブとして残すページです。「上高今昔の今昔」ではこの連載記事そのものを分析対象とし、更新時期や題材、文字数、執筆スタイル、といった様々な視点から考えてみます。
 
前期
 連載は2021年6月15日の「上高今昔1」から始まり、2023年の1月6日の「上高今昔34」までの間、比較的短い間隔で記事が投稿されていました。主に学校の図書館や旧本館、寮などの施設や学校の創立に貢献した新谷善三郎、初期の学校行事といった「モノ」や「コト」の紹介が中心でした。執筆スタイルは客観的で説明的であり、過去の写真や資料を見せることで、学校の基礎的な歴史的事実を記録することに重点を置いていたようです。
 
間期
「上高今昔34」の更新以降、2025年6月13日の「上高今昔35」が公開されるまで、約2年5ヶ月間、記事の更新が停止しました。この空白期間は元の執筆者である校長先生が上浮穴高校から転勤になったことが原因です。

後期
 2025年6月13日の「上高今昔35」からは、赴任してきた教頭先生により連載が再開され、以降は再び活発に更新されています。更新頻度は、以前よりも高く、週に複数回更新されることも珍しくありません。特筆すべきは、記事の内容が単に学校の基礎的な歴史的事実を記録するだけでなく、得られる情報からより深い考察を伴うものへと進化している点です。

執筆者による文字数の変化

 記事一つにおける文字数も変わっています。全70記事のデータから第70回を除外した69記事を分析対象としました。執筆者交代の境界として第1回~第34回の前期と第35回~第69回の後期に分類しました。記事数は前期後期ともに34件ありますが平均の文字数は469.9字から1195.1字と2.54倍に急増。中央値では453.0字から1254.0字と2.77倍になっています。最小、最大文字数でも違いは明白でそれぞれ前期では181字、1147字であるのに対し後期では452字、2276字と一目瞭然です。

 連載の時代区分と並行して、取り上げる題材にも明確な変化が見られます。
  前期では、学校の校舎、寮、門といった施設や、創立に尽力した人物の功績が主要なテーマでした。これは、学校のルーツを辿り歴史を明らかにすることで、歴史記録としての基本的な役割を果たすものでした。過去の航空写真や記念碑の紹介を通じて、学校の変遷を視覚的に捉えさせる内容が多かったです。また前期の記事は、事実を淡々と記述し、過去の写真や記念誌からの引用を多用する、比較的客観的で説明的な文体が特徴でした。これは、歴史的事実を正確に伝えることに主にしていたためと考えられます。構成は写真と短い解説文が中心で、読者が視覚的に情報を理解しやすいように構成されていました。

 後期に入ると、題材はより広範かつ深いものへと変わります。部活動の歴史、生徒の出身地の変遷、地域みらい留学への参画など、学校が社会や地域とどのように関わってきたか、また、教育理念が時代とともにどう変化してきたかといったテーマが頻繁に取り上げられるようになりました。特に、過去の生徒の声を引用し、当時の社会背景や感情に言及する記事は、単なる学校の歴史の紹介を超え、読者に共感と考察を促す内容となっています。後期においては、執筆スタイルはより考察的かつ対話的なものへと変化しました。過去の出来事を現代の視点から捉え、読者に対して問いかけを行うような表現が増加しました。例えば、「今、この時代からさらに45年が経過しました。全国募集も始まり、学校の状況は45年前とはまた違っています。今の生徒たちは、当時の生徒ほど気持ちを吐露することはありませんが、どんな思いを抱いているのでしょうか」といった記述は、読者に共感を促し、学校の歴史を自分事として捉えさせる効果を持つと考えられます。また、記念誌や生徒手帳だけでなく、文芸誌『山なみ』や生徒会誌『山麓』など、より多様な資料からの引用と、それらに対する深い分析や解釈が加わることで、記事の多様化が進んでいます。
 
まとめ
 前期と後期では記事の題材、文字数、構成、考え方など様々な点において異なっていることがわかりました。その要因として執筆者の担当している教科の差異(前期は地歴公民・後期は国語)による影響が大きいことが考えられ、教師という仕事がただの職業ではなく人生そのものであるように感じました。

(今回の記事は3年「国語探究A」の総まとめとして、生徒が記事を担当したものです。)