上高今昔76 仮装行列 時を越えて再び

2026年2月26日 09時23分
上高今昔

 戦後、本校の運動会がどのように発展していったのかが、『二十年史』(P74)に詳しく記されています。

 運動会、学校祭の充実・進歩にも著しいものがあった。昭和25年に「仮装行列」、昭和27年には「親にも衣裳」がはじめられて、運動会は楽しく和やかな空気を濃くしていった。昭和27年までのクラスで4、5名出場の、全くの即製で、幼稚でセンスに乏しかった仮装行列は、28年度はじめて高校生らしい優美でセンスに富み、内容ある「源氏車」が出て注目を浴び、翌年度からこれに続く仮装行列が規模を大きく、内容を豊かにして輩出した。29年度はメーキャップに紀元を画した「清水一家」が1位を奪ったが、2位の「十字軍」は40名余のクラス総出場、規模壮大、発想・仮装技術・内容ともに群を抜いて優秀、全く圧巻の仮装行列であった。30年度1位の「安宅の関」も印象に残る作品であったが、他の作品にも多くの秀作がでた。「親にも衣裳」も奇抜・斬新ですぐれた趣向の作品があらわれ、会場はぎっしり埋まった観衆の賞賛と拍手の嵐で興奮のルツボと化した。これは29・30年頃からであった。そしてこの頃から仮装行列は上高運動会名物として郡民に親しまれることとなった。(P74)

 上高運動会名物の仮装行列は相変わらず郡民の注目の的となった。31年度「赤穂浪士」、32年度「明治天皇」、33年度は学校祭催物としてはじめて久万町街頭に進出、数千の観衆から「八百屋お七」を筆頭に好評を博し、34年度「忠臣蔵」、35年度「吉原祭」がそれぞれ1位となった。(P82)

 

 これらの記述を読むと、戦後、上高の運動会では「仮装行列」が花形になり、郡民もこれを楽しみにしていた様子が分かります。また、33年度から「仮装行列」は、学校を飛び出し、商店街を練り歩いて、町を盛り上げていたようです。
 現在、上高の体育祭では、「ダンスパフォーマンス」が花形となり、「応援」の部でその優劣を競い合っています。「仮装行列」は姿を消しましたが、グループで練習を重ね、ダンスのそろった動きや魅力的な振り付けは、保護者やOBをはじめ多くの聴衆の注目を浴びています。

 

 さて、体育祭とは離れますが、平成5年度から、町のイベントである「くままちひなまつり」のオープニングイベントに、卒業前の3年生が、着物を町の方々に着せていただき参加するようになっています。餅まき、お菓子まきを行い、イベントを盛り上げます。

 男子は女装を希望する生徒が多く、今年度(令和7年度)はその様子が南海放送テレビにも取り上げられました。
 

 昭和30年代、町を練り歩いた上高生徒の仮装行列は、「くままちひなまつり」のオープニングイベントに、時を越えて引き継がれたと言っていいかもしれません。